ほったらかしの牧の草・2
2001年4月14日家庭内暴力?
ピン! と来ませんでした。
暴れている…母及び祖母に対する、暴力。
見てた事は見てたと思うけど…心に感じる物はありませんでした。
無かったと言うより、閉ざしていた。
これは、後から聞いた話だけど、「子供の躾は母親の責任なので、自分達には関係ない」と、病院送りに成る程痛めつけられた母への、父の言葉だそうです。
(つまり、目の前で、そういう事が起こっても、父は『知らん顔』を決め込んでいたのです。)
この頃から、私もつられて?紙を裂き続けたり、自室のカーテン裂いたり、自分の物を壊しまくってました。
当時、小学校五年位だったはず…
そして、私は人の話しが、頭に残りにくく、適当に相槌を入れる事を修得していました。
中学に入り、自然と家から遠のき、寝る為にだけしか帰らなくなる。
気が付いたら、弟とはこの頃から会話をしていない。
姿が見えないのも、気にはならない。
こんな状態で、八年程は過ぎていきました。
もちろん、私と母や父の間にも、会話はありませんでした。
唯一会話をしていたはずの祖父は、病に倒れ、寝たきりの様になっていた…知らなかった。
飼っていた愛鳥が、死んでいた。
私は何も知らない、見ようともせず暮らしてました。
そして、実家を出て行ったのです。
友達との同居が始まりました。
ピン! と来ませんでした。
暴れている…母及び祖母に対する、暴力。
見てた事は見てたと思うけど…心に感じる物はありませんでした。
無かったと言うより、閉ざしていた。
これは、後から聞いた話だけど、「子供の躾は母親の責任なので、自分達には関係ない」と、病院送りに成る程痛めつけられた母への、父の言葉だそうです。
(つまり、目の前で、そういう事が起こっても、父は『知らん顔』を決め込んでいたのです。)
この頃から、私もつられて?紙を裂き続けたり、自室のカーテン裂いたり、自分の物を壊しまくってました。
当時、小学校五年位だったはず…
そして、私は人の話しが、頭に残りにくく、適当に相槌を入れる事を修得していました。
中学に入り、自然と家から遠のき、寝る為にだけしか帰らなくなる。
気が付いたら、弟とはこの頃から会話をしていない。
姿が見えないのも、気にはならない。
こんな状態で、八年程は過ぎていきました。
もちろん、私と母や父の間にも、会話はありませんでした。
唯一会話をしていたはずの祖父は、病に倒れ、寝たきりの様になっていた…知らなかった。
飼っていた愛鳥が、死んでいた。
私は何も知らない、見ようともせず暮らしてました。
そして、実家を出て行ったのです。
友達との同居が始まりました。
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